空は子供の頃から何も変わらない様に見える。青い空、飛行機雲がキレイにまっすぐ一直線に延びて行く。
でも僕らが乗った地球というこの星、ひとつの乗り物は日々変化し続けている。
晴れた空なのに首都圏には光化学スモッグ警報が出され何だか息苦しい気がした。節電も解除され「暑い」というより「熱い」に近い感覚だ。行き交う人々も自然と気温や熱中症、猛暑やゲリラ豪雨などの話題を口にしているのが耳に飛び込んで来る。なにか急激に変わった…変わって行ってる。
大牟田の暑さと都会の暑さは湿度も空気も明らかに違う。夏祭り以来、久しぶりに長時間屋外に居る事になったが陽射しが痛くあっと言う間に日焼けしてしまった。子供の頃は日差しを浴びて遊ぶのが良いとされたが…
紫外線や熱中症、何だろう、この息苦しさは。日焼けさえ気にしてしまうなんて。この地球は、世界は、日本も何処へ向かっているのだろうね。
9.11から10年、大震災の日 3.11から半年。今日は色んな事を考えた。まるでSF映画を観ているかの様なニューヨークの悪夢。争いは絶えない。人の命を奪う技術は次々と日進月歩進化するのに命を救う技術は牛歩のごとく進化しない。
原爆で苦しんだ日本が今度は原発の脅威に怯えている。災害や病気から人々を救う術はもっと進歩しないのか!?
自然を守り命を守る手段は積極的に開発されないのか?法は国民を守ってくれないのか?大人になるほどにそんな矛盾を考える様になった。
多分、この仕事をしてなかったら東北や東日本の震災にもこんなには胸を痛めなかったかもしれない。東北の地図さえ頭に入ってないくらい勉強が出来たアホだったから。
全国ネットの番組をやらせて貰って日本全国をキャンペーンやライブで訪れる事になって、被災地の方々にも大変にお世話になり助けて頂いた。
沢山の優しさや情けをもらった。知人も友人も増えた。だから痛々しくて苦しくて辛かった。それを故郷の大牟田で知り悪夢のごとき映像を見る事になろうとは…。
復興が報道され節電もいつしか終わりさも日常に戻りつつあるような日々が逆に恐い。
まだ何も解決していないし原発問題も進展していないのに。見えない放射能も恐いし地盤が歪んでいつ何処で地震が起こってもおかしくない状況も気掛かりだ。
あの震災で行事の中止や過剰とも思えた自粛ムードで生活も人間関係も根幹から変わった。世の中の流れとはいえ、あの異常なくらいのムードは何だったのか?自粛もボランティアも流れに終わったかの様に感じています。自分に何が出来る訳でもないけれど復興に至る道で、何ぞ微力でも目を向けたいと想います。傷みを知ったあの日から始めた事を継続したい。
僕は戦争直後を当然知らない。でも今、なんかそれと似た様な空気感と閉塞感を重ねてしまいます。人を貶めたり命を奪う進歩はもう要らない。人を救い命を助ける進歩進化に世界が向かう事を願いたいです。
何度となく救われ拾われた自分の命があるうちに某かをやり遂げたいと想う、何かをやり続けたいと想った今年の9.11でした。